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宮崎地方裁判所 平成8年(行ウ)1号 判決 1998年5月25日

宮崎県日向市大字財光寺沖町七〇番地

原告

岩﨑正雄

右訴訟代理人弁護士

成見幸子

成見正毅

年森俊宏

被告

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

右指定代理人

星野敏

畑中豊彦

松木末男

竹原一郎

永田秀一

井寺洪太

池田和孝

河口洋範

鈴木吉夫

福浦大丈夫

主文

一  原告が平成六年一二月二〇日付け修正申告による平成元年分ないし平成五年分の所得税合計金三四〇五万円の納付債務を負担していないことを確認する。

二  原告のその余の訴えを却下する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

原告が平成六年一二月二〇日付け修正申告により納付すべき所得税(平成元年分ないし平成五年分)合計金三四〇五万円及び延岡税務署長により平成六年一二月二二日付け賦課決定された重加算税(平成元年分ないし同五年分)合計一一九一万七五〇〇円の各納付債務を負担していないことを確認する。

第二事案の概要

本件は、平成元年分ないし平成五年分の所得税として、合計金三四〇五万円(正確には別表一記載の「修正する納税額欄」の合計三四〇六万九六〇〇円)とする旨の原告作成名義の修正申告書の提出に関し、原告が被告に対し、その修正申告の提出はいずれも自己の意思に基づくものではない旨主張してその納付債務の不存在確認を求めるとともに右修正申告を前提として賦課決定された重加算税の納付債務の不存在確認を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  原告の経歴

原告は、昭和一一年生まれで、昭和四五年、日向市内に理容店を開業(後に同市内で移転。以下「本店」という。)し、その後、日向市内に日向大衆店(後に上町店と改称。以下「上町店」という。)、延岡市内に旭ケ丘大衆店(後に旭ケ丘店と改称。以下「旭ケ丘店」という。)、大分県内に佐伯店及び大分店の各名称の店舗を開設し、経営していたが、大分店は平成六年一月原告の二男岩﨑博(以下「博」という。)を代表者として設立された有限会社大分パリスが経営するようになり、同年六月に佐伯店が第三者に譲渡された。

さらに同年七月、原告の長男岩﨑和博(以下「和博」という。)を代表取締役とする有限会社パリスが設立され、以後、原告が経営していた本店、上町店、旭ケ丘店は右会社が経営するようになった。(甲一七、原告本人)

2  原告の税務、会計業務

昭和六二年四月ころから平成三年一二月ころまでの間、原告経営の理容店の経理・会計業務は、従業員の樋口百合子(以下「樋口」という。)が担当していたが、原告は、平成三年一月から平成六年五月までの間の会計処理、税務申告を三輪政弘税理士(以下「三輪税理士」という。)に委任し、平成三年一二月には三輪税理士のすすめにより、姫田眞佐子(以下「姫田」という。)を従業員として採用し、経理・会計業務を担当させた。なお、三輪税理士への委任が終了した後、和博が紹介を受けた小田一好税理士(以下「小田税理士」という。)において有限会社パリスの会計処理、税務申告を行う予定であったが、平成六年一一月当時、具体的な会計処理業務を開始しておらず、原告もさほど面識がなかった。(甲一七、証人和博、原告本人)

3  原告の病歴

原告は平成三年八月には糖尿病、肝機能異常により入院し、平成四年には前立腺腫瘍疑いにより検査入院するなど、右疾病等の治療を受けていた。(甲一、二、一七、原告本人)

4  事実経過

(一) 平成六年一一月八日、熊本国税局課税部資料調査第二課主査髙橋秀文(以下「髙橋」という。)ほか同課職員、延岡税務署職員及び大分税務署職員が分担して原告の自宅、本店、上町店、旭ケ丘店及び大分店において税務調査を実施し、佐伯店においては税務調査に着手しようとしたが、同店が第三者へ譲渡されていたことが判明したため、同店については調査を実施せずに退去した。(甲九、一〇、乙九、一〇、一三ないし二二、証人髙橋、同和博)

(二) 原告は、同月七日、眼の治療を受けるために大分市所在の大分岡病院に向かい、翌八日受診したところ、糖尿病、白内障、神経症、肝機能障害、びらん性胃炎と診断され、入院することになった。このため、同日夕方ころ、着替え等を準備してもらう連絡で博が勤務する大分店に電話した際、前記(一)の税務調査がなされていることを知った。

又、原告は、大分岡病院入院中の同月一二日、大分市所在の蔭山眼科医院で左眼瞼贅疣摘出手術を受けた。(甲五、八、一二、原告本人)

(三) 髙橋らは同月一一日、本店事務所で和博と面談し、原告との面談可能な日時、場所、方法等を連絡してもらうよう依頼したところ、同月一五日に本店事務所で面談することになり、同日、入院中の原告は、一時外出の許可を得て髙橋と面談した。(甲九、乙九、証人髙橋、同和博、原告本人)

(四) 原告は、同月一九日に退院して、同月二四日、本店事務所で髙橋らと面談し、報告書と題する書面(乙二五の1ないし4)を交付した。このとき、小田税理士、和博、和博の妻岩﨑由美(以下「由美」という。)、博、姫田、樋口及び大分店の従業員黒木禮子(以下「黒木」という。)が同席していた。(甲一一、乙二五の1ないし4、二六ないし二八、証人髙橋、同和博、原告本人)

(五) 同月二五日、原告、小田税理士、和博、博及び黒木は延岡税務署に赴き、同署会議室において原告、和博及び小田税理士が髙橋及び熊本国税局課税部資料調査第二課職員児玉健二と面接し、右五名と仕切を隔てて博及び黒木が同課主査濱田敏廣(以下「濱田」という。)及び同課職員関口と面談したところ、博及び和博は、それぞれ自己の修正申告書を作成して提出した。そして、原告の平成元年分ないし平成五年分の所得税及び消費税修正申告書も提出されたが、右各所得税修正申告書における原告の署名押印は和博が、右各消費税修正申告書における原告の署名押印は黒木がそれぞれ行ったものであった。(右各所得税修正申告書の提出を以下「本件修正申告」という。)

本件修正申告にかかる各年度の総所得金額、納税額及び修正する納税額は別表一記載のとおりである。(甲八、九、一三、乙九、一〇、乙四ないし八の存在、証人髙橋、同和博、原告本人)

(六) 原告は、同月三〇日付けの熊本国税局長宛の嘆願書(乙一の1)を作成し、そのころ同国税局に郵送した。(乙一の1、2)

(七) 同年一二月一日、原告、和博及び由美は、延岡税務署に赴き、同署個人課税第二部門統括官丸山京一郎と面接し、その際、由美がその本文を代筆し、原告が署名、捺印した事実申立書と題する書面(乙二)を提出した。

原告は、右面接後、そのまま大分岡病院に向かい、同日から同月二六日までの間と平成七年一月四日から同月七日までの間、同病院に入院した。(甲一、一二、乙二、一一、三〇、証人由美、原告本人)

(八) 和博の修正申告書は、申告から間もなく延岡税務署長に受理されたが、本件修正申告が同署長に受理されたのは、平成六年一二月二〇日であった。(乙四ないし八の存在、証人和博、原告本人)

(九) 同月二二日、延岡税務署長は、原告に対し、平成元年分ないし平成五年分の重加算税を別表二記載のとおりとする賦課決定(以下「本件賦課決定」という。)をした。(争いがない。)

(一〇) 平成七年一月九日、原告は、和博及び由美とともに延岡税務署に赴き、税金納付について同署管理徴収部門徴収官平谷君久(以下「平谷」という。)と面談し、同月一一日、由美及び姫田が納付相談のため延岡税務署に赴き、原告の本件修正申告にかかる平成元年分の所得税のうち、五〇万円を現金納付した。(乙三、一二、原告本人)

(一一) 同年二月一三日、原告は、本件賦課決定に対し、異議を申し立てた。(弁論の全趣旨)

二  争点

1  本件修正申告は、原告の意思に基づいてなされたものか。

2  本件賦課決定に対する取消しによらずに、本件賦課決定にかかる重加算税納付債務の不存在を主張し得るか。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  前記争いのない事実等記載の事実に証拠(甲一、五、八、九、一二ないし一四、三一、乙九、一〇、一二、二五の1ないし4、二六ないし二八、乙四ないし八の存在、証人髙橋、同和博、同由美、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると以下の各事実が認められる。

(各項末尾に揚げた証拠は当該事実認定に特に用いた証拠である。)

(一) 原告が平成六年一一月一五日、髙橋らと面談した際、原告は従来経理・会計業務を三輪税理士や従業員に実質上任せており、詳細な内容については把握していない状態であったことから、経理関係を従業員に任せており、よく分からない旨答えたところ、髙橋から、資金の流れを知り得る資料を作成することを指示された。

その際、原告は同月一二日の手術による抜糸が済んでおらず、眼帯をしたままであり、健康状態は相当程度悪化しており、正常な会話が困難な状況にあった。(甲一、五、八、九、一二、一四、三一、証人髙橋、同和博、原告本人)

(二) 同月一九日、原告は、原告の希望により大分岡病院を退院したが、その際、医師から再入院の必要がある旨の指示を受けていた。(甲一二)

(三) 原告は、髙橋の前記指示に基づき、和博らとともに創業時からの借入金の内容を記載した報告書(乙二五の1ないし4)を作成し、同月二四日、本店事務所で髙橋と面接した際に提出した。その際、髙橋は、当該報告書記載の各借入金の支払利息の計算をし、原告に対し、他に経費となるべきものがないかどうかという点を聴取して翌二五日に延岡税務署に来署するよう依頼したにとどまり、認められる経費の具体的数値やそれまでの調査によって把握した売上金の額やその具体的根拠は示さなかった。なお、(二)の退院後、原告は、右報告書作成に関与した外は、ほとんど床に臥している状態であった。(証人髙橋、同和博、原告本人)

(四) 翌二五日、和博らとともに延岡税務署に赴いた原告に対し、髙橋は、当初から修正申告を慫慂し、納付すべき税額を記した書面を初めて提示したところ、原告が修正申告することを拒否したため、その後は納付の方法についての話に終始し、売上金の額、経費の額、その具体的根拠を示すことはなかった。

和博は、右話合いの際、原告と同席していたが、最終的に席を移し、原告と背中合わせの状態で、原告の後方に位置する机において、予め延岡税務署職員によって各欄の金額が記入されていた各修正申告書に原告名を署名し捺印した。しかし、原告に代わって和博が署名、捺印することについては原告の明確な応答はなかった。なお、右捺印に使用された印鑑は、和博が持参した日常使用していたものである。

又、このときの話合いは数時間に及んだが、原告の健康状態は依然として良好とはいえない状況にあった。(甲一三、証人髙橋、同和博、原告本人)

(五) 同日、自宅に戻った原告は、和博が署名、捺印を代行したことを知って激怒し、数日間、和博や由美と会話を交わさなかった。(証人和博、同由美、原告本人)

(六) 平成七年一月一一日に由美が原告に代わってなした本件修正申告の所得税のうちの五〇万円の納付は、原告の了解を得ないまま差押を免れる目的でなされた。(証人由美)

2  以上のとおり、原告は、平成六年一一月一五日、二四日の髙橋との面接において、修正申告がなされる場合の各年度の売上の額やその根拠、どのような費目でどのような金額のものが経費として認められあるいは認められないか並びにその根拠についての具体的な説明を受けなかったこと、同月二五日においても、売上金の額の具体的根拠や経費として認められる具体的金額やその根拠を示されず、むしろ修正申告がなされた場合の納付の方法についての話に終始したこと、同月一五日から同月二五日までの原告の健康状態は、同月一九日に医師から再入院の指示を受けるなど、なお予断を許さない状況にあり、その判断能力も十分ではなかったことが窺える。そうすると、原告において、本件修正申告にかかる期間の売上金及び経費について、修正申告書が提出されるまでの間、その額がどの程度であるのかを把握し得る状況にはなかったというべきであり、修正申告を拒否していた原告が、明確な根拠も示されることなく、その意思を翻し、修正申告に応じるに至ったとは考えにくく、このことは、修正申告書における原告の署名捺印が原告自身でなく和博によってなされていることやその際の和博の態度及び後に原告が和博夫婦に取った対応に裏付けられており、本件修正申告は、原告の真意に基づくものとは認められない。

3(一)  被告は、本件修正申告が原告の真意に基づくものであると主張し、その根拠に本件修正申告時の事情として、<1>除外の売上があることについては原告も承知していたのであるから、所得金額算出根拠を示されなくとも原告は本件修正申告の内容を認識していたこと、<2>延岡税務署側は、裏帳簿により原告の真実の所得金額を把握し容易に更正処分を課し得たのであり、無理な慫慂などしておらず、原告は、濱田の説得により、本件修正申告をする意思を生じたこと、<3>署名捺印の代行は、原告も承諾していたことを挙げている。

しかし、右<1>の本件修正申告の内容認識の点であるが、税務・会計業務を税理士や従業員に実質的に任せていた原告が、本件修正申告当時、売上除外の詳細を十分承知していたか否かについて疑問があるのみならず、経費としてどのような金額が認められるかについての説明がなされない状況においては、各年度の所得額を明確に把握することは困難であったというべきである。

次に右<2>の延岡税務署側の事情や濱田の説得の点であるが、延岡税務署が更正処分を課し得たか否かは別にして、原告の健康状態が相当程度悪化している状況において、数時間の説得が原告の体調に影響を与えたことは否定できず、証拠(乙九、証人髙橋)によっても、原告の意思を転換させる説得があったとは認めるに足りないというべきである。

さらに、右<3>の署名等代行についての承諾の点であるが、原告の健康状態が相当程度悪化している状況において、原告が向いていた机で署名捺印できる状態にもかかわらず、和博をして原告と背中合わせの位置で署名捺印をさせ原告がこれを視認し得ない状況でなされたこと、原告は、和博が署名を代わって行うについても明確な返答をしていなかったことからすれば、原告の承諾は認めるに足りないというべきである。

(二)  他方で、被告は、前記主張の根拠に、本件修正申告後の事情として、原告が、同月三〇日ころ、脱税行為をしたことを前提として寛大な処置を求める旨記載された嘆願書(乙一の1)を提出し、同年一二月一日には、売上除外をしていたこと、除外した売上を簿外の給与支払等にあてていたこととともに、本件修正申告の所得金額と同額の所得金額を年度ごとに記載した事実申立書(乙二)を提出し、また、本件修正申告にかかる所得税の一部を納付していることを挙げている。

しかしながら、事実申立書の原文は、髙橋が準備していたものであって、原告は、これを由美に書き写させて、最後に署名捺印をしたに過ぎず(証人髙橋、同由美、原告本人)、当時の原告の体調及び由美にその内容を書き写させた経緯を考慮すると、その内容を十分把握していたかについては疑問があること、課税されること自体に不満があったとしても、納付すべき税額がより低額になるよう求めて次善の策として事実申立書や嘆願書を提出することもあながち不自然とはいえないこと、原告は、平成七年一月九日に平谷に相談した際にも依然として経費算定に対する不満を述べていたこと(乙一二、原告本人)、その他前記認定の所得税の一部納付は原告の周囲の者がとりあえず差押を免れようとする意図に出たものであること等からすると、本件修正申告後の原告の各言動は、和博の行動を前提にして、半ば諦めたり、次善の策で妥協する方向に揺れ動いたことまでは窺えるものの、さらに進んで、本件修正申告が有効になされたことを前提とするものとまではいえず、これをもって本件修正申告が原告の真意に基づいてなされたことを推認するに足るものではない。

二  争点2について

本件賦課決定は、処分に重大かつ明白な瑕疵があり無効である場合を除き、処分の取消しを経ずにこれによって形成された権利・義務の存在を争うことはできず、右に瑕疵が明白であるということは、処分成立の当初から、誤認であることが外形上、客観的に明白である場合を指すものと解すべきであるところ、前記一1ないし3で判示したところからすると、本件修正申告は原告の意思に基づかない無効のものであるが、申告後に原告側から事実申立書や嘆願書が提出されており、その真意や作成過程については、当裁判所における本件訴訟の審理で初めて明らかになったものであるから、平成六年一二月二二日の本件賦課決定時から右無効が外形上、客観的に明白であるとまではいえない。

三  よって、原告の本訴請求のうち、修正申告による納付債務の不存在確認を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の申立は、不適法であるからこれを却下する。

(平成一〇年二月二三日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 安藤裕子 裁判官 浅見宣義 裁判官 中田幹人)

別表一

<省略>

別表二

<省略>

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